2次元の世界に生きたい

少女マンガ、宝塚、アニメ、ゲーム、2.5次元舞台について語るブログ

【宝塚】ポーの一族振り返り感想

ポーの一族の東京公演も半ばに差し掛かって来ましたね~!
わたしは先月、宝塚大劇場で観劇しました(*^^*)

もし、これから観劇される方で、運よく2回以上観に行けるよ~というかたがいらっしゃれば、

観劇→原作を読む→観劇

のスタイルをオススメしますっ!!!
わたしはこのスタイルで観たのですが、大正解だったと思っています*

ポーの一族は、萩尾望都さんの言わずと知れた名作少女マンガです。短編の連作という形をとっています。

宝塚のポーの一族は、原作を全て網羅してるわけではありません。宝塚のその後の話も、原作では描かれています。つまりラストが原作と舞台では違います。
だからこそ、原作を知っているのと知らないのとでは感じかたが変わってくるのです!

振り返って感想を書きます~!

舞台、および原作のネタバレも含みます!!!!
知りたくないかたは絶対に読まないでくださいっ!!

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まず、原作を読まずに観劇したのですが…

目の前に広がる世界は本当にこの世に存在しているのか…?そう疑ってしまうほど、妖しく美しく、そして儚い世界がそこにはありました。
小池先生、そして宝塚が本気を出したらこうなるのか…!!

ポーの一族はヴァンパネル(ヴァンパイア)。見た目は人間だけど、あくまで「人間のふり」をしているのであって、永遠に死なず、最後は砂となって消える。そんな一族、そしてエドガーの持つ、悲しさ、儚さ、妖しさ、美しさ…「人のようで人ではない何か」が持つ雰囲気が舞台全体から醸し出されていました。

美しい場面は本当にたくさんありましたが、やはり印象に残ったのは、ラスト、アランをエドガーが迎えに来るシーン。
明日美さん、柚香さんが、とにかく美しい。危うくて、脆くて、今にも消え去ってしまいそうな美しさ。
エドガーの孤独、アランの孤独、ここから始まる二人の長い旅…に思いを馳せながら、涙が止まりませんでした。

ここで終わるのではなくて、ギムナジウムにアランとエドガーが現れた場面で終わるのがとてもよかった!この後、二人で長い旅に出たんだね、きっと仲良く楽しく暮らしていくんだよね…そう思える、でも永遠に続く孤独を思わせる、救いがあるけれどどこか切ないラストでした。
アランがエドガーを見つめる、切ない笑顔が印象的でした(;_;)


一度目の観劇を終え、漫画を読み、二度目の観劇。

エドガーの「ぼくはヴァンパネラ~」の歌で涙が止まりませんでした。
一度目の観劇の時は、エドガーの寂しさに共感するには二時間半では時間が足りず、展開も早いので、特に前半は共感しきれない部分もありました。
でも、原作を読んでいくことで、ひとりぼっちのエドガーの抱える孤独、永遠の命を得、最後は土に還ることなく散りゆくしかないヴァンパネルの、どうしようもない寂しさ、悲しさ。
それが最初のエドガーの歌でひしひしと伝わってきました。

そして、エドガーとアランの出会い。
(もう一度言います!原作のネタバレがあります!!)


舞台の終わり方は、まだ救いがありました。
でも原作では…

最終巻のラストのエピソードで、アランは消えてしまう。火事の中、足を踏み外して2階から落ちていくアランを見つめる、エドガーの絶望に固まる表情が忘れられません…。
原作では、エドガーとアランの二人の長いエピソードが散りばめられています。舞台のその後、二人が、親友でも、兄弟でも、家族でも、恋人でもない、二人にしかきっとわからない関係で、孤独を共有しながら旅をする様子が描かれています。

最後、また独りになってしまうエドガー。

きっと「ポーの一族」は、最初から最後まで、エドガーの「孤独」の物語だったんだと思います。
哀しくて切なくて美しくていとおしい、ヴァンパネラの物語。

それを知ってしまってから観るラストシーン。
エドガー、良かったね…そう思う一方で、永遠には続かない二人の幸せを思うと、いつか再び訪れてしまうエドガーの孤独を思うと、切なさに胸が締め付けられました。

原作はかなり昔の漫画で、読みにくさは否めないのですが、是非一度観劇したことがある方には読んでのほしいなあと思います。
宝塚のポーの一族の、美しさと哀しさと切なさがより伝わってくるのです。


長くなってしまいましたがこの辺で!
ポーの一族、もう一回見たい!!DVD買おうかなあ。